名前と年齢と現在の家族構成が、知ってる全てだった。
出産はおろか、妊娠していたことも知らなかった。
義妹には「里帰りしてる娘がいる家に、他人のくせに来るな!
なんで私のお母さんに嫁子が甘えるわけ?」的なことを言われ、目覚まし時計を投げられた。
実家でゆったり休んでいるところに義姉が来たら嫌だろう、
物は投げないで欲しかったが怒るのは仕方ないと思った。
夫に、義妹の里帰りを知っていたのか、
そして知っていたのなら私にそれを告げなかったのは何故かと尋ねた。
でもデリケートな時期だから責めないでやってくれ、お互い様なんだから」だそうだ。
「何がお互い様? どう考えても、義妹と、義妹の子達の世話を義母がすると
私の子まで手が回らないでしょう?
熱心にここへの里帰りを勧めてくれたけど、そのあたりの負担はどう考えてたの?」
そういうと義母も夫も「まあまあ、大丈夫だから、ねっ!」とか言い出す。
義妹は「帝王切開の傷が痛い。居候が働きな」と上2人の世話を私に押し付け、
義母は「忙しいから」と私に家事を押し付けた。
疲れて判断力を失っていたところに、今度は「練習になる」と
判断力は時々蘇り「こんな状態なら自宅で家事は代行サービスに任せて、
子育てを自力でやる方がマシだ」と気付いたが、行動に移す前にお産が始まった。
元気な息子が生まれた。
義妹にも新生児がいたからか、義母による入院中の凸もなく、平和に過ごしていた。
数日後に退院した。
義実家に着いたら、一室に荷物の山ができていた。
全て、自宅にあった「夫と」私の荷物だ。
どういうことかと夫を問い詰めたら「もうずっと甘えたらいいんだ」
「延々と奴隷のように働き続ける、それのどこが甘え? ありえない! 家に帰る!」
そう言ったが「ここが家だよ、前の家はもうないよ。僕達はここで暮らすんだ。
僕は留守が多いけど母さん達と一緒なら嫁子も安心だし。
余裕が出たらちょっと家事を手伝ってあげてよ。母さんも喜ぶよ」と笑っていた。
義母は「嫁子ちゃん、よく頑張ったわね、初産で大変だったでしょう?
赤ちゃんとゆっくり休んでいていいからね」といやに優しい。
義妹たちは部屋に篭っていたのか、姿を見なかった。
私が片付けないと散らかっていたはずの義実家が、とてもきれいだった。
義母が優しい。
あの悪夢のような奴隷の日々は幻だったのかとすら思った。
混乱している私の腕の中で、息子が泣いた。
慌てて世話をし、泣き止んだ頃には私はフラフラだった。
いつの間にか眠り、また泣き声で目覚めて世話をし、