義両親と夫に義実家への里帰りをすすめられる私〔トメはそんなに嫌な人じゃないし大丈夫か甘えたほうがいいかな?〕そっからが地獄の始まりだった・・・・

どういうことかと夫を問い詰めたら「もうずっと甘えたらいいんだ」

「延々と奴隷のように働き続ける、それのどこが甘え? ありえない! 家に帰る!」
そう言ったが「ここが家だよ、前の家はもうないよ。僕達はここで暮らすんだ。僕は留守が多いけど母さん達と一緒なら嫁子も安心だし。余裕が出たらちょっと家事を手伝ってあげてよ。母さんも喜ぶよ」と笑っていた。

里帰りではなく、同居に持ち込まれたんだ。
そう気付いて、義母を問い詰めようとしたが、義母は「嫁子ちゃん、よく頑張ったわね、初産で大変だったでしょう? 赤ちゃんとゆっくり休んでいていいからね」といやに優しい。
義妹たちは部屋に篭っていたのか、姿を見なかった。

私が片付けないと散らかっていたはずの義実家が、とてもきれいだった。
義母が優しい。
あの悪夢のような奴隷の日々は幻だったのかとすら思った。

混乱している私の腕の中で、息子が泣いた。
慌てて世話をし、泣き止んだ頃には私はフラフラだった。

いつの間にか眠り、また泣き声で目覚めて世話をし、1日経ったら…全てが元通りになっていた。
私は、また奴隷に堕ちていた。

義妹の蹴りで目覚め「1日グータラしたでしょ! ほら早くご飯作りなさいよ!」
「義妹旦那(従兄弟だか再従兄弟だか、もともと親族らしい)ちゃんのために早くお弁当!」

掃除、洗濯、料理、息子の世話、義妹一家の世話、買い物、何故か義母の服のアイロンがけ。
最初の何時間かは、確かに「逃げ出してやる」と思っていたはずなんだ。

「義妹息子ちゃんのお迎えの時間よ!」

散らかる、汚される、怒鳴られる、蹴られる、息子の泣き声が聞こえる。
義妹の子が絵本を読んでとやってくる。
読み上げているはずの自分の声など聞こえない。

やがて最初は違って聞こえていた義妹娘と息子の泣き声の区別がつかなくなってきた。

どちらのオムツを替えたのかも分からなくなって、両方替えた。

退院してからたった4日で、思考が失せた。

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引用:修羅場ほか速報
画像出典:pixabay